11月27日はブルース・リーの誕生日。主演作でどの作品が好きですか?

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11月27日はブルース・リーの誕生日。ブリース・リーの主演作でどの作品が好きですか?
ブルース・リー
ブルース・リーは1940年11月27日にサンフランシスコの中華街で生まれました。
その後、香港に帰国し、幼少の頃よりイップマンの指導の元、中国武術を身につけ、再び渡米し、ジークンドーを創始しました。
そのジークンドーを演武したフィルムがきっかけで、TVシリーズ「グリーン・ホーネット」の準主役に抜擢。
正義のヒーロー”グリーン・ホーネット”の助手兼運転手として、目の周辺だけを隠すマスクをつけた日系アメリカ人のカトー役を演じ、派手なアクションで人気になり、TVドラマや映画に数多く出演。

その後香港の大手映画会社のゴールデン・ハーベストと契約し、1971年に「ドラゴン危機一発」が公開され、大ヒット!!

ブルース・リーの主演作は次の通りです。
「燃えよドラゴン」(英題 Enter The Dragon)
燃えよドラゴン
ブルース・リー念願のハリウッドとの合作。1973年公開。
日本ではブルース・リー主演第1弾として1973年12月22日(土)に公開され、配収16.4億円。
裏社会を牛耳るハンの手下に姉を殺され復讐に燃えるリーは、秘密情報局の承諾を得てハン主催の武術トーナメントに乗り込む。
監督はロバート・クローズ
ブルース・リーの切れのいいカンフー・アクションが炸裂した最高傑作と言われましたが、映画の完成後に急逝されました。

「ドラゴン危機一発」(英題 The Big Boss)
ドラゴン危機一髪
ブルース・リーの「ドラゴン」シリーズ第1作で、”李三脚”と呼ばれた驚異の足技で世界の格闘アクションを変えた、香港クンフー・アクション映画の原点!!
1971年に公開され、アジア各国や中東などで大ヒットを記録して世界的な香港製クンフー映画ブームの発火点となった作品。
日本では「燃えよドラゴン」の熱狂を受け、”ブルース・リー第2弾”として1974年4月13日(土)に公開され、配収6億円。
喧嘩から足を洗ったチェンは、勤めている製氷工場が裏で麻薬を密売していることを知り、仲間の復讐のため極悪非道な社長一味に単身闘いを挑む…
監督・脚本はロー・ウェイ

「ドラゴン 怒りの鉄拳」(英題 Fist of Fury)
ドラゴン怒りの鉄拳
ブルース・リー主演の第2作。香港で封切られるや興行記録を2週間で塗り替え、アジア全域で空前の大ヒット。
日本では1974年7月20日(土)に公開され、配収6億円。
日本帝国主義が横行する20世紀初頭の上海を舞台に、道場を潰され恩師を殺されたひとりの中国人青年チェンが、日本武術協会に立ち向かう姿を描く…
「ドラゴン 危機一髪」に引き続き監督・脚本はロー・ウェイ

「ドラゴンへの道」(英題 The Way of the Dragon)
ドラゴンへの道
ブルース・リーが製作・監督・脚本・音楽監修・武術指導・主演の6役をこなしたアクション。
日本では1975年1月25日(土)に公開され、配収7.7億円。
マフィアに立ち退きを迫られている中華料理店の娘を助けるため、ローマにやって来た青年、トン・ロンと、マフィアの戦いを描く。
チャック・ノリスとの対決シーンをはじめ、映画史上屈指の鬼気迫るカンフー・アクションが展開。

「死亡遊戯」(英題 Game of Death)
死亡遊戯
ブルース・リーの死亡により未完となっていたフィルムに、「燃えよドラゴン」のロバート・クローズ監督が代役による追撮と他作品のカットを加えて完成させた伝説の作品。
1978年4月15日(土)に公開され、配収14.5億円。
犯罪組織の傘下に入るのを拒み、組織から命を狙われたんだ映画スターのビリー・ローが巨大国際シンジケートに立ち向かう…

ブルース・リーはさらに切れのいいカンフー・アクションの活躍が期待される中、「燃えよドラゴン」の完成後の1973年7月20日に32歳の若さで急逝されてしまいました。
主演作としてはわずか5本でしたが、どの作品も心に残る作品ばかりです。
ブルース・リーの主演作でどの作品が好きですか?



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